初めてブログで僕の個人的な両親の話を書きます。
だからあまりつっこまないでね。
僕の両親はずいぶん前に共に病気でなくなりました。同じ年の春と夏に。
父は障害者で重病だったので、母は10年間介護・看護して、最後は母自身も脳の悪性腫瘍を発病してしまいました。お互い50歳を過ぎたばかりでまだまだ若かったから、まだまだやりたいことが多かったと思います。
父は最後は悪名の高い老人病院で、母はホスピスで亡くなりました。翌年の年賀状の喪中の挨拶で、両親なので通知文を2行書こうと印刷会社にお願いしたら、割増料金を取られて、ずいぶんだな、とくやし涙をしたことは今でも忘れません。
僕はだから、母の介護のやりました。「母の介護」とは
1.母が行っている父に対する介護の手伝い
2.母の介護
です。さぼることなど許されませんでした。「自分の出来る範囲で」など甘えたことなど許されませんでした。
両親ともに同時進行になってからは、死ぬほどタイヘンでした。このタイヘンさ、は正直忘れたくても忘れられません。まだ当時は周りで僕と同じ環境の人は少なく、理解も全くありませんでした。「お若いのにタイヘンね」といわれると両親のことだが、僕自身のことか一瞬わからないのですが、やがて両方のことだとわかって、惨めな思いをしたものです。
正直な感想として、この両親の介護・看病~葬式・埋葬、法事その後の膨大な事務処理は僕の人生で一番哀しく苦しく辛かった出来事です。
大学受験より、入社より、その後の七難八苦のサラリーマン生活より。
時は今、2007年の団塊世代の定年で「2007年問題」と騒がしいです。
「団塊世代」の命名者でもある堺屋太一氏によると、これから10年は豊富な消費力をもつ団塊世代の購買力が期待でき、黄金の時代が来るそうです。
・・・その後に本当の意味での大量老人介護時代がやってくるのでしょう。
おそらくそうなると、日本中で介護介護と連日大騒ぎで、老人病院のいい加減さと、ホスピスのどうしようもない絶望感が論じられるのでしょう。やれやれ。
今でも老人介護をしている人の70パーセントが75歳以上だそうです。介護されている人ではありません。だから老人が老人を介護するのです。で、それ(親 --> 祖父母の介護)を怠ると自分の子供たちが介護状況を目ざとくウォッチしているので、今度は自分の介護(子 --> 親の介護)に跳ね返ってきます。さぼれませんね・・・。大変な時代なんだなあ、やれやれ。
そんな時代になにか僕の経験がいかせたらな、という道徳的な気持ちを持ちつつ、おもいっきり不道徳なことを言わせてください。
「父さん母さん、死んでくれてありがとう」
でも、僕は今での両親のことを誇りに思っています。